| グループが目指すもの |
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| 1972年、私は私立高校の教員をしながら塾を始めた。生徒はわずか2人。 |
| さかのぼる事その5年前、私は学校を創る事を決めていた。当時、学校は |
| 学校塾は塾。教育現場も行政も全てが縦割り。また大人の勝手な都合で、 |
| あらゆる場面で差別が行われ、そこには主役であるはずの子供の姿が見 |
| えない。だから、いつも学校を創るために、ふつうの塾じゃないもの、つま |
| り「最も塾らしくない塾で、学校かもしれないけど塾かもしれない」そんな |
| 塾を始めた。塾なのに部活もあるし遠足もあるし運動会もある。生徒の中 |
| には、身障者もいたし自閉的な子もいたしLDの子もいた。でも、そこには |
| イジメもなく差別もなく、お互いの得意不得意を理解し補完しあっていた。 |
| 私はスタッフにも子供たちにも、「将来、学校を創るよ。」という思いを伝 |
| えた。その子供たちが、現在の星槎グループの各学校のスタッフとして、 |
| 最前線で子供たちと活動している。 |
| 英語とか数学とか、教科は一つの道具。学校は思想の伝達の場所。 |
| そのために私たちはたくさんの引き出しを持たなければならない。なぜな |
| らば、子供の数だけ個性があるんだから。公平という名の画一的な教育は |
| ナンセンス。 |
| 私たちは、行政が見落としている(もしかしたら見て見ぬふりをしている) |
| 場面に、子供たちの居場所を創り続けていく。 |